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題:俯瞰景 作: 富永太郎 から

  • 2016/02/29(月) 19:50

溝どぶぷちの水たまりをへらへらと泳ぐ高貴な魂がある。

かれの上、梅雨晴れの輝かしい街衢の高みを過ぎ行くものは、
脂粉の顔、誇りかな香りを放つ髪、新鮮な麦藁帽子、
気軽に光るネクタイピン……この魂にとつて、
一日も眺めるのを欠くべからざる物らの世界である。

さて、かれは、これらの物象の漸層の最下底に身を落してゐる。
軽装の青年紳士の、黒檀のステツキの石突いしづきと
均しく位してゐる。
しかも、かれは、この低みから、
すべての部分がかれの上に在るあの世界をみおろすことのできる、
不思議な妖術を学び得た魂である――この屈従的な魂は。
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みなさま、お世話さまです。
はじめまして。365kmといいます。

私は前に、「精神と心と時空間」というブログを記していましたが、
それは残念ながら今月初めに閉鎖となってしまいました。

なかなかのランキングでぶっちぎりでしたが、
心無い方に荒らされてしまいました。
その時のジャンルは、FC2ランキングでは、人文(全般:その他)
ブログランキングではメンタルヘルス(精神科:診療内科)でした。

引き続き今度は自由な表現で記事を記したいと思います。
誹謗中傷はご遠慮くださいね。

それでは私の文を記します。
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題:士志視四死子詩

(写真は、福島原発のそばにあった、「夜の森公園」の桜。
「散る桜、どうせ明日は散る桜。」私が見た桜の中では、
一番綺麗な夜桜でした。今はもう見ることはできません。)
夜の森の桜

死の色は紅色、それは生死を意味し、
死と新しい世界と子の誕生の時にも血は流れる。
空の色は青色、それは知恵を意味し、
爽快な世界と冷酷な世界を生みだす。
葉の色は緑色、それは平安を意味し、
幻想と詩の感情の世界がやってくる。
重力の色は紫、それは高貴を意味し、
英知と栄光の士を生み出す。

光りの色は透明、それは全てを明らかにし、
真実の視を見ることになる。
暗黒の色は闇色、それは全てを自分のものとし、
反作用で自分の志にも反作用をする。

光を人は神と崇め、それはあらゆる色となり、
儀式と繕いさえも明らかにし、力を持つ。
光りは特殊で似ている電気にも変換され、
黒という世界も築きあげる。それは質量が無いからだ。
光りは癒しを持ち、生きる糧となり、
時には重力磁場さえも柳の枝のようにかわす事が出来る。

闇は黒く、全てを飲み込むが、光に勝てることはない。
しかし全ては闇から現象が起こる。
闇の原点は光りではなく、実は闇から光が生まれているが、
闇は黒と決まっている。
闇は欲を叶えるが、闇は光りとなって、
その原点に跳ね返る性質を併せ持つ。

げに、実は人は光りと闇と色を無意識のレベルで
使いわけていることに気が付かない。
そして、時間と空間を司るは心、それに色と光と闇が混合され、
視となり志となり詩となる。

どんなに元素を知ったところでも過去へは戻れない
性質を時間と言い、よく詩になる。
光りと闇を操ることが出来ても、
それは空間そのものを否定出来ず、生と死を繰り返す。

物事は、どれにも属さない心によって世界観が決まる。
そしてこの詩となった。
たったそれだけの話に死をかける者を
人は笑う、嘲笑する。
人は笑うが、それにも色と光と闇の種類があり、
闇の光もある。一つではない。
抽象、紫

喜怒哀楽という四の漢字も同じこと、一つではない。
ただ、怒りは全て悪から来るということだけは真実だ。
しかし、この恨みはらさでおくべきか、
と思っても怒りは起こらないこともある。
怒りと制裁は違う、呪いとも違う、
それが怒りだ。死の香りがする。

匂いや香りはその世界が生む産物と言えようが、
感覚でわかるように視界に入らないように出来ている。
食べ物を識別する舌と似て非なるものだが近いものだ。
その舌は、心の奥の赤い舌や、舌を巻くなどと、
比喩的にも使われている。
匂いや香りが感覚的に出来ている所以である。

善と悪という心がある。かつて日本には愛という言葉はなく、
誠という言葉がそれにあたる。
ここに心の世界と志が存在し、
道徳と法規という矛盾の中で人は生きていく。

誠の誓いと道徳に、人は色、モノクローム、
感情をかけ、そこに善悪は存在しない。

現実をみるとき、私が祈るとき、
事を行うとき、それは時には慎重に、
時には真剣になる。
しかしその原因を分析したところで
現実はなかなか変わらない。

なぜかというと、精神と心と時空間とは、
複雑に絡みあって一本の縄になったり、
また本当にただの一本になったりすることを
人は確認することが出来ないからだ。
物理学の超弦理論と似ている。
220px-Calabi-Yau-alternate.png

これを謎とけば、自分という存在がこの世に
詩のように生きていることを知るだろう。
しかしそれは簡単ではない。
始まりがあって、終りがあるからだ。

現象が変わるのは、時間があるからではない、
時間のない世界では別のものが代行する。
つまり、生きていることも、死んでいることも、
喜んでいることも、哀しんでいることも、
この四つは一体化しているパズルであることに気付く。

それに気づけば、この世で自分が生かされている
本当の意味を知るのだと私は思う。

士志視四死子詩という七つの漢字は
それを知るために使われたことばだ。
西洋占星術のある儀式にも似ている。
最後の晩餐の絵にも真実が隠されている。
その配置、役割、形、事実が
それを完成させていることに気が付くだろうか。
それは意図的でなくとも、
無意識化で自然にそうなるようになっている。

このタイトル「シシシシシシシ」の
七文字を口に出して言ってみよう。
人それぞれ一致しないと思うが、
どのように感じるかはわかるはずだ。

予定説ではない、その現状の成り立ちを
ここでは述べているにすぎない。
そこには、愛があり、理不尽でもあり、
合理的でもあり、情熱的でもある。

私は、私がわからない。本当にわからない。
私は私の生きる意味合いがわからない。
ただ、迷惑をかけないように、周りにあわせ、
自ら死なないように生きているにすぎない。
私の志などはどこにもない、まるで生きる屍のようだ。
もっと単純に考えよう。

この詩は、対照的に書かれていることばを入れ替えても、
同じ結果になってしまう事に気付いただろうか。すなわち、

人は考えて行動することが出来るのだから、
あきらめてはならない。
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「初音ミク」 ローリンガール
歌詞が意味深です!♪(o・ω・)ノ))

動画↓
ローリンガール

初音ミク、ローリンガール
それでは皆さまごきげんよう (っ^ω^)っ

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